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執筆者の写真AKIRA

フラトンホテル

随分ブログ書いていませんでした。新潟は秋から冬に向かうそんな時期です。


9月も10月もアメリカ出張に行っていましたが、先日シカゴに行った際に、16年前から2年間はお世話になったであろうフラトンホテルの前を通って記念に撮影してきました。


このホテルは僕達のルーツとも言える場所でした。


商売を始める前の一発目の仕入れエリアをなんとなくシカゴに決めた事から始まるわけですが、フラトンホテルには苦い思い出しかないですが、でも確実に今の自分にとってはこうしてネタにできるくらい人生の中でも重要な場所になりました。


一人でシカゴに仕入れに行くようになってからはこの画像のフラトンホテルに宿泊していました。


ここを選んだ理由は当時はレンタカーを借りずにシカゴ全域をバスで徘徊していましたので、事前のリサーチでスリフトがまとまっているエリアのちょうど中心に位置するホテルがフラトンホテルだったんです。実際にこの並びにサルベーションアーミーがあってまず歩いてそこに行って、、というのがルーティンでした。この前久しぶりに通ったらもう店舗はありませんでした。ホテルの並びにあり夜9時まで開いていたので締めもそのサルベーションでしたね。補充もされていて夜ビンテージが出るパターンも結構ありました。


当時はスリフト一軒でかなりの物量が買えましたので、2軒、3軒でハンドキャリーとしては限界になり、バスでホテルまで戻って部屋に荷物を投げてまたバスに乗ってスリフトをハシゴするというやり方で2年以上Chicagoオンリーで古着を仕入れていました。


レンタカーを借りなかった理由は兄弟で商売を始める際に、両親が古着屋という業種に対して予備知識0でしたからアメリカまで行って買い付けてくるなんて、、という事で理解を得られず、心配されて海外で車の運転する事だけはダメという事で約束しまして、実際に2年ちょっとは僕等もそれを守り、アメリカ買い付けなのにバスでひたすらスリフトをつぶしていくという手段で仕入れを繰り返しました。


現在は宿泊するホテルは日本にいる時にネットで予約を入れてチェックインしますが、その当時は予約も何もせず空港から直接タクシーでフラトンホテルに向かってフロントと言えないレベルの鉄格子の付いている窓越しに座っているおばさんに宿泊したいことを伝えて滞在していました。

1泊30ドルから40ドル位だったと思います。その低い価格帯からも想像できますが、泊まってはいけないレベルでした。それでも当時の自分達にとっては経費削減になるという事とバスでスリフトを徘徊する上で立地的にも貴重な宿泊先でした。


右も左も分からないという言葉があるように、自分達はこの業界の事を何も知らずに始めていたので、これも過酷な修行のうちだと思って根性で2年以上も宿泊し続けました。


ゲストを宿泊させる部屋は2部屋のみでした。その部屋ですが、アメリカ版のゴギブリは普通に壁にいましたし、寝ている時に顔の上を通過する時もありましたね。でもそれでも宿泊し続けました。


2階から上の階の部屋は全て住み込みの人達のアパート的な部屋でした。


今思うと本当凄い体験をしてきたなという感覚しかないですし、また宿泊しようとは全く思えないくらいリスクの高い宿泊先でもありました。


ブログのネタとしてはありかなと思うのでまた続きを書いてみたいと思います。








 この4着は9月に買い付けました。このご時世なので驚愕でした。これから販売します。



10月はこれでした。このディテールの1880年代前後の個体を仕入れできましたが、最初で最後かもしれないですね。



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